Oyajisculler's blog

(おやじスカラー戸田便り)

四連覇の回想録:

前年、自分の乗るクルーで全日本三連覇達成。1982年度主将として取組んだ目標はただ一つ、四連覇達成のみ。この年度は、同期の4年は体格・体力に劣るが、一つ下の3年は人数も多く体格・体力に優れる者が多いのが特徴だった。オフシーズンは漕法統一に向け、秋から付きフォアを使って徹底した漕ぎ込み。年末恒例の漕ぎ込みでは、土日で秋が瀬2往復を4連続モーションで実施。最後の戸田橋一発では、全力で漕ぐも水中がノーワークとなる体内エネルギーの枯渇を体験。(冷や汗がタラリ)即ち、死ぬ程漕ぎこんだ。年明けは早大が合流しての検見川陸トレ合宿。体力・走力では早大には勝てない事を実感。打倒東大で迫り来るライバルクルーに勝つ為に、徹底した漕ぎ込みで、漕技・ユニフォーミティーの改善、そして実乗艇での漕力向上を計った。恒例となっていた3月の東北大との並漕による合同練習、4月の早大との並漕など、練習試合を多数経験。如何なるレースも絶対に負けない気概をクルー内で意思統一した。これは毎日の乗艇練習も同じ事であり、普段の練習、如何なるコンディションでもクルーの持っている力を出し切る事を目標として取組んだ。 この結果、東商戦、ミラノ市ユニバ選考会、軽量級と、インカレ・全日本前の全てのレースで優勝。仕上げは奥只見湖での最後の漕ぎ込み。超ショートインターバルでのハイピッチパドル30本*10発*4ラウンドでは、酸欠で意識が飛びかける中で追い込んだ。この結果、どんなに苦しく・疲労しても漕技・ユニフォーミティーを崩さない地力を身に着けることが出来た。準備万端で臨んだインカレ・全日本では、予選・準決勝と危なげなく勝ち上がった。決勝では他のクルーが連日のレースで疲弊する中、我がクルーは練習で培った実力を発揮し、インカレ優勝、翌日の全日本決勝では2位以下に水を空けて勝つことが出来た。ゴールの瞬間は、意外にも嬉しさ爆発という雰囲気はなく、四連覇の必達目標を達成し、「負けなくて良かった」と安堵感に満たされた事が記憶に残っている。