Oyajisculler's blog

(おやじスカラー戸田便り)

今年最後の1X夜間乗艇

oyajisculler2005-11-09

そろそろ夜間の気温が10℃を切る季節になって来たので、今日は今年最後の1X夜間乗艇を実施した。
ポンドに艇を浮かべると今日は略無風、絶好のコンディション。新人戦が終わったこともあり、ポンドに浮かんでいるのはおやじとMY生命のスカラー軍団。MY生命のスカラーはどうやら12kmのTTを行うところの模様。丁度おやじも12km漕をやるところであり、偶々スタートが一緒になった。おやじの後方からMY生命のスカラーが漕いでくる。最初なので、詰められない様に確りこいで見た。最初の半周は差が縮まらなかった。しかし、反転しようとしたところ、MY生命スカラーの反転の素早さ、おやじの反転時間の半分の時間で電光石火の如くターンしていった。恐るべし、MY生命の反転速度。その後も反転する度にMY生命のスカラーがおやじを追い越してゆく。まあ、歳が違うし、マイペースを保っていたが、2周半回ったところで右脹脛が攣り始めた。3周まで後750mのところで遂に脹脛が石の様に固まってしまった。(ここまで40分漕いだ)これでは漕げないので一時停止し、フィニッシュワークで船台まで戻る。今日は3周で終えることにした。

大利根遠漕

揚艇すると、T大の学生が大利根遠漕の準備でナックルシックスを整備している。2回実施した艇整備・リギング講習会の成果を生かしているかな?眺めているとシートの座面に風呂マットを敷いているのと、予備オールを括り付けているだけで、レール、シート、ストレッチャー周りの整備は殆ど何もやっていない。ナックルシックスは整備の対象とは考えていないのか?ちゃんと整備しないと後で痛い目に合うのは本人なんだが。。。
大利根遠漕、実は結構大変な練習なんである。おやじの大利根遠漕の思い出は以下の通り。

  1. 1年時(往路組):ハンドルが歪に削られたオールに当たってしまい、1日目に手の皮がボロボロに剥け、2日目には手から流血する始末。疲労している上に雨も降ったりして3日目には左手の中指が化膿し始めた。痛くてどうしようもなかったが、何とか4日漕ぎと通したが、両手の指は完全に皮が剥けどうしようも無い状態。翌朝、調子から帰る時には、手の指が乾燥してガチガチに固まって動かない状態。友人に頼んで財布から金を出して切符を買って貰う始末。翌年の大利根遠漕は絶対に漕がないと決めた瞬間だった。(結局3年連続で漕いだ)尚、左手の中指の化膿した部分は1cm四方の範囲で指紋が無くなってしまった。これを見る度に大利根遠漕を思い出す。(レールも壊れたりして大変だった。=上級生がメカに弱かった。)一つ楽しかった思いでは、佐原辺りで、ナックルシックス1杯が魚(ソウギョ?)の大群に取り囲まれ、急に水面が泡立ったかと思うと雨あられの如く魚が空中に飛び跳ねこの艇が一瞬見えなくなる。漸く魚が居なくなると、この艇の中には大きな魚が数尾飛び跳ねている。魚というのは当たると結構痛い様で、後で聞いたら、この艇に乗っていた連中は大変だったとのこと。この光景を目の当たりに出来たことが、この年の遠漕の唯一の楽しい思い出。
  2. 2年時(復路組):2年目は大利根遠漕は拒否すると決めていたが、結局漕ぐことになった。(漕がないと人数が揃わなかった)どうせ漕ぐなら並べた時に勝ちまくってやろうと心に決めた。4杯での遠漕で、他の3クルーには3年生が乗っている。おやじの艇には3年生がおらず、2年生のおやじ以下のクルー。2年で大変だけど、頑張れよと3年生。何を言うか、自分の心配をした方が良いのでは?とおやじ。3年がいないと言うことは、整調のおやじの好きに出来ると言うことで、勝つための戦術を駆使してロングレースでは勝ちまくった。この遠漕を介して、自分に整調の才能があるということを認識できた。非常に実り有る遠漕だった。
  3. 3年時(往路組):3年生の時は主将だったので、大利根遠漕で、1年時のおやじと同じ酷い思いを後輩にさせてはならじと、艇の整備には余念が無かった。1モーションを潰してナックルシックスの整備・リギングをバッチリ行った。試漕の方も良好。本番の遠漕では、たじろぐ1年生が怖がらぬ様に最初は技術練習とノーワークから入る。徐々にライトパドルへ移行して、1年生が気付かぬ内に徐々にペースを上げる。この年もおやじのクルーは勝ちまくった。この年に大変な思いをしたのは、3日目。千葉県の木下佐倉辺りで強い風が吹き上がり、流れと風が喧嘩する情況で大きな白波が立ち、残りの行程30kmを残して途中で揚艇。最終日は70kmを漕破して銚子に着いた。

おやじの漕いだ3年間は全て銚子まで辿りつくことが出来た。T大では大利根遠漕で銚子にたどり着けないと、全日本選手権エイトで優勝出来ないというジンクスがあった。おやじは3回全部銚子に行き、結果として全日本選手権エイトで4連覇を達成できた。
以上